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Shiro Kuramata

倉俣史朗を知っていますか

1960年代半ばから1991年まで、空間と家具デザインを中心に活躍した倉俣史朗は、20世紀の日本で最も重要なデザイナーの一人である。彼が作り出した軽やかで儚さを感じさせる詩的な世界は、西洋のデザインとも日本の伝統的なそれとも大きく異なる独自のもの。日本国内だけでなく、国際的に大きな衝撃を与えた。

倉俣が手掛けた空間の大半は店舗である。商業施設の常で、2、3年で改装されてしまうため、今や現存するものは僅か。家具デザインに関して倉俣は、バウハウス的な教育も受けているが強く影響を受けたのはアートである。特に非現実的な世界を表したシュールレアリズムやドナルド・ジャッドなどの現代美術からの影響が大きい。

そんな倉俣にとって転機となったのが、イタリアのデザイナー、エットーレ・ソットサスが中心となって1981年に始めたデザイン・ムーブメント、メンフィスへの参加だ。当時の優等生的なデザインへの反発であるこの運動に加わり、倉俣のデザインはより自由になり、次々と傑作が世に送り出されることに。SHIRO KURAMATA の名前は国際的なものとなった。

そして没後30年。今振り返ってみても、倉俣の仕事は、時代を超えた美しさが感じられる。効率やマーケティングを重視した現代のデザインが忘れてしまった、自由な精神と遊び心に溢れた倉俣史朗の仕事や考え方は、次代に伝えていくべき人類の遺産である。

倉俣史朗の家具デザインの特徴

倉俣の家具には、「重力からの解放」と呼ばれる軽やかさや儚さと「独創的な素材使い」に大きな特徴がある。「ブティック ISSEY MIYAKE」(1976年)の大きなテーブルは、重力に逆らって宙に浮いているようだ。代表作のひとつである「ガラスの椅子」(1976年)は、新開発のボンドを使って厚い板ガラスを接着しただけのもの。人が座れば割れてしまいそうだが、実は大人が座ることも可能。見る者の心に働きかける力を持った、アートに近い非常に美しい一脚である。倉俣にとって、「美しさは機能」のひとつなのだ。

「How High the Moon」(1986年)は、工業用の素材であるエキスパンド・メタルを溶接してつなぎ合わせたもの。フォルムは誰もが思い描く伝統的なソファーだが、これまで家具に使われることのなかった素材を用いているのが倉俣流。見た目も軽やかで、人が座れる機能も持ち合わせている。

透明なアクリルの中に造花のバラが浮かんだ「Miss Blanche」(1988年)は、鑑賞のための椅子と言って言い過ぎではないだろう。重力からの解放、独特の素材使いといった倉俣の特徴を備えており、「How High the Moon」とならんで倉俣の代表作のひとつとなっている。


このような倉俣のデザインを実現させるには、高度な職人技術が必要だ。それでいて職人の手の跡を見せないように仕上げられているため大量生産は難しい。唯一の例外が「オバQ」の愛称で呼ばれている「K-series」(1972年)だろう。もっともこの照明ですら、手作業による造形が不可欠である。復刻された「SAMBA-M」(1988年)のようなオブジェは、小さなサイズゆえ独自の世界を実現でき、隠れた名品が多い。

ギャラリー田村ジョー「復刻・倉俣史朗Ⅰ」展

ギャラリー田村ジョー「復刻・倉俣史朗Ⅰ」展

Shiro Kuramata

Photo: Takayuki Ogawa

倉俣史朗(1934-91)は、1960年代半ばから1991年まで、空間と家具デザインを中心に活躍した。手がけた空間の大半は店舗であるため、現存するものはごく僅か。一方、オブジェ的な色彩の強い家具や小物も多くデザインされ、現在は世界の主要な美術館のコレクションに。一部、ギャラリー田村ジョーにより復刻が行われている。

倉俣史朗とソットサス

倉俣史朗とソットサス

 Photo: Takayuki Ogawa

Sing Sing Sing,1985

Sing Sing Sing,1985

 Photo: Ryoichi Yamashita

Apple Honey,1985

Apple Honey,1985

Photo: Ryoichi Yamashita

Comble / Shizuoka,1988

Comble / Shizuoka,1988

Photo: Nacasa & Partners

Miss Blanche,1988

Miss Blanche,1988

Photo: Hiroshi Iwasaki

Glass Chair,1976

Glass Chair,1976

Photo: Mitsumasa Fujitsuka

Flower Vase #3,1989

Flower Vase #3,1989

 Photo: Ryoichi Yamashita

K-Series,1972

K-series,1972

Photo: Ryoichi Yamashita

KYOTO,1983

KYOTO,1983

Photo:  Mitsumasa  Fujitsuka

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